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LOT 20
北野 恒富
扇獅子
60.0×72.0cm
絹本彩色・軸装
右上に落款、印
共箱
[exhibition]
『北野恒富展』出品(東京ステーションギャラリー、石川県立美術館、滋賀県立近代美術館)/同展覧会図録No.77 掲載(東京ステーションギャラリー:2003年)
[literature]
『培広庵コレクション 美人画の雪月花 Ⅱ Ⅲ』No.029 掲載(橋本広告事務所:2024年)
解説を読む
¥
100000
-
200000
ABSENTEE BID
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北野 恒富
扇獅子
60.0×72.0cm
絹本彩色・軸装
右上に落款、印
共箱
[exhibition]
『北野恒富展』出品(東京ステーションギャラリー、石川県立美術館、滋賀県立近代美術館)/同展覧会図録No.77 掲載(東京ステーションギャラリー:2003年)
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『培広庵コレクション 美人画の雪月花 Ⅱ Ⅲ』No.029 掲載(橋本広告事務所:2024年)
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江戸時代より商業都市として栄え、経済力をもつ町人たちによって独自の文化が育まれた大阪は、明治時代以降の日本画の分野でも東京や京都とは異なる発展を遂げる。大阪の日本画はもともと京都の四条派の流れを汲んだ、あっさり、すっきりとした画風が好まれていたが、そのなかで北野恒富は新しい表現を打ち出し、多くの後進も指導して多彩な表現を大阪の画壇に吹きこんだ第一人者であった。
石川県金沢市生まれの恒富は、明治30年(1897)に17歳で大阪にのぼり、新聞社で新聞挿絵やポスター制作に従事するかたわら、同郷出身の稲野年恒に入門する。浮世絵師・月岡芳年に師事した稲野に習いながら、恒富は洋画の写実的な筆致も学び、当代の女性を情緒豊かに描いた美人画ポスターで人気を博した。その後、日本画的な表現へと変化していき、明治末に文展で入選を重ねると本格的な日本画家としての地位を確立したが、妖艶で退廃美ただよう画風は「画壇の悪魔派」とも呼ばれた。
恒富は大正3年(1914)の再興第1回院展に《願いの糸》を出品し、恋に悩む少女の可憐な姿や、朱色の映える濃密な「大阪の花柳界の気分」が指摘され、当年随一の美人画と称される。院展出品作は現在では所在不明であるが、同名の今回出品作は原作の雰囲気を偲ぶことができる1作であろう。
本作の場面は七夕で古くからある風習で、庭先に紅白の絹糸をつるし、盥に水をはって天の川を映し、その上で針に糸を通して裁縫の上達を願ったといい、祭礼や伝統行事を美人画に託して多く描いていた恒富の特色をよく表している。そして大正中ごろからは、浮世絵などの古典絵画も積極的に学習するとともに女性の内面性を深化させ、古典美とモダニズムをそなえる独自の画境にいたる。今回出品作でいえば、三味線の糸を張り替える女性の姿を表した《三味線》は浮世絵を意識しつつ、赤と黒が織りなす色彩は画家らしさを伝えている。
また、清元節の舞踊を描いた《扇獅子》は、大の芝居・踊り好きであった画家の一面をものがたる存在であり、「はんなり」とした舞妓の美しさを描く作品は、「関西弁の響きを思わせる」と言われた恒富独特の丸みを帯びた造形を明らかにし、円熟期の画家がもつ多彩な魅力を味わうことができる。
恒富による新風は大阪の画家たちを刺激し、また彼の画塾には多くの弟子が集まり、恒富は大阪画壇を牽引するリーダー的存在として活躍した。
しかしこれまで、東京や京都に対して、大阪の画壇という枠組みで恒富やその周辺の画家たちが注目される機会は少なかった。そこには他の2都と比べて、日本一の経済力をほこった大阪ではパトロン文化が栄え、画家たちは支援者の求めに応じた床の間芸術・卓上芸術に力を入れており、奇抜な大画面作品を必要とする公募展と距離を置いたことや、他人と競うことを厭う大阪人特有の感覚が、全国に知られる原動に欠いたとも指摘されている。
しかし近年、大阪のみならず東京などでも大阪画壇の歩みを紹介する展覧会が開催され、その名が知られる機運は高まっている。ぜひこの機会に、大阪を代表する恒富の作品にご注目いただきたい。