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LOT 110
Léonard Foujita (藤田嗣治)〈1886-1968〉
Femme aux mains jointes(手を合わせた女の肖像)
34.8×26.9cm
キャンバス・油彩・額装
左下にサイン、年記・裏面に署名、年記
1927年
東京美術倶楽部鑑定委員会鑑定証書付
[literature]
『FOUJITA』P147, No.C.27.179.H 掲載 (Sylvie Buisson:2007年)
解説を読む
¥
30000000
-
50000000
LOT 110
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Léonard Foujita (藤田嗣治)〈1886-1968〉
Femme aux mains jointes(手を合わせた女の肖像)
34.8×26.9cm
キャンバス・油彩・額装
左下にサイン、年記・裏面に署名、年記
1927年
東京美術倶楽部鑑定委員会鑑定証書付
[literature]
『FOUJITA』P147, No.C.27.179.H 掲載 (Sylvie Buisson:2007年)
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真珠のような光沢をわずかに帯びる白、無駄のない極細の墨線、優美な女性像や官能的な裸婦像という独特の美の世界をつくりあげた藤田嗣治は、1920年代のパリにおいて一大センセーションを起こし、一躍画壇の寵児となった。今回出品作《手を合わせた女の肖像》は、1927年というまさしく黄金期に描かれたものであり、パリの人々が称賛した藤田の魅力を存分に味わうことができる1作である。
気品ただよう美貌の裸婦の半身像が表わされ、豊かな金髪と淡く色づけられた唇、輪郭線の黒のほかには、裸婦の肌と背景の白が画面を占める。しかし白と一言でいっても、裸婦の肌はひたすらに滑らかで、それに対し背景は陰影をつけて少しずつニュアンスを変えており、人の皮膚と空間の余白の違いを表現する画家のこだわりをうかがうことができる。
とくに裸婦の象牙色の肌は、大理石の彫刻のような完璧さも感じさせるが、繊細な輪郭線によって血の通う人間の肌の柔らかさを伝える。藤田にとって描線とは、単なる外形を表すものではなく「物体の核心」から探求されるべきもので、「美術家は物体を深く凝視し、的確の線を捉えなければならない。そのことが分るようになるには、美の神髄を極めるだけの鍛錬を必要とする」と語っており、「やわらかい、押せばへこむような皮膚」を目指した画家の修練がここに結実しているといえるだろう。
また、波打つ金髪をひと房ごとにひと筆で描き、髪のボリュームと輝きを表現する筆さばきにも注目したい。藤田は日本画の技術を高く評価し「今から弟子入りして、筆の使い方を習いたいと思う」と記したり、変化自在な毛筆の魅力を語り、日本の筆がもつ「和やかな優婉、素朴、風雅、幽玄、繊細等の味」は西洋の画材では及ばないと述べており、本作の髪の表現も水墨画の筆づかいを彷彿とさせる。
本作は、西洋絵画の本場たるパリで認められた裸婦像の美しさと、藤田の卓越した画力を余すことなく伝える逸品である。
1913年、26歳の藤田は長年の夢だったフランスに到着した。東京美術学校で油画を学んでいた藤田であったが、パリでキュビスムやフォーヴィスムなどの前衛芸術、アンリ・ルソーの素朴な作風などを目の当たりにし、「絵画は実にかくまでに自由でなければならないのだ」と衝撃を受ける。そして今まで学んだことを捨て、ルーブル美術館で古典絵画を勉強し、最先端の表現を吸収し、しかし誰かの模倣ではなく独自の画風をつくりだすことに専念した。
折りしも翌年から第一次世界大戦がはじまり、多くの日本人が帰国するなか藤田はパリに残ることを決め、貧窮を強いられながらも絵画の探求を深めてゆく。
異国の地で奮闘する画家の念頭にあったのは、「他の人とはまったく反対の行動に出てみよう」という反骨精神と、長い歴史をもつ西洋絵画のなかで「今まで見た事がないようなもの、また今後なかなか容易に出そうもないようなものを紙の上にだしてみたい」という気概であった。
そこで藤田が着目したのは、当時の画壇でよく見られた、絵の具の厚塗りや濃厚な色彩を逆手にとって、白と黒というごく少ない色を滑らかに塗り、絵筆も日本画で用いられる極細の面相筆で油絵を描くことであった。とくに白色については、「白はただ物の明暗、それの遠近の明るい意を現すために用いられておるが、僕は白を白色として、その白色の美しさを土台に使って生かしてみよう」という発想をもとに研究を重ね、「Les grands fonds blancs(素晴らしい白地)」と呼ばれるようになる特別な白を生みだす。
1920年代に入ると、戦争が終わって世間や画壇も以前の活気を取り戻しはじめ、藤田も独自の画風にたどりつく。そして、その繊細な白地をもっとも生かす画題として裸婦像に取り組み、1921年のサロン・ドートンヌに裸婦像を出品すると大きな評判を呼んだ。白地の美しさが見る者の目を惹くだけでなく、細密で洗練された描写はパリの人々の心をつかみ、裸婦という西洋美術において伝統的なテーマは、戦後のフランスの再生と成長を象徴するモチーフとして人気を集め、藤田の名声はゆるぎないものとなる。
その後、激動の歴史とそれにともなう心境の変化によって画風を変えてゆく藤田であるが、この1920年代に築きあげた「Les grands fonds blancs」の裸婦像の美しさは別格であり、100年経た今なお人々を魅了してやまない。
裸婦像を描くことについて、藤田は1929年に記した『在佛十七年—自伝風に語る―』にて以下のように語っている。
「裸体画について一言すると、レンブラント、ルーベンスは脂肪太りの女をかいた。アングル、シャバンヌはギリシャ・ローマの彫刻から教はった均衡のとれた人間の外形を描いた。ルノアールに至って始めて血の通っている女を描きだした。が僕は女の裸体を手がけるにあたって、今まで何人もかつて手をつけなかったものを発見し、先人未踏の天地を拓きたいと思った。われわれの祖、春信、歌麿などは婦人の肌を描きだした。僕も日本人である以上、これら先人の轍をふんで人間の肌をかく事に気づいた」
ここでも藤田らしい気骨と、日本の伝統で西洋の伝統に対抗しようとする挑戦をうかがわせる。春信・歌麿が表わした「わずかに脚部の一部分とか膝のあたりの小部分をのぞかせて、あくまでも膚の質感を描いている」ということにヒントを得て生まれた肌の表現だけでなく、絵筆の選択などもその一環といえるが、今回出品作ではほかの要素も見ることができるのではないだろうか。
本作の裸婦は澄んだ瞳で斜め向こうをまっすぐと見つめ、唇はかすかに微笑んでいるようにも見えるが、両手は意味ありげな形に重ねており、大きな感情を表さずともなにか複雑な心情を感じさせる。その表現はまるで、喜多川歌麿が創始した、女性の上半身をクローズアップする大首絵の浮世絵に通じるように思われる。
大首絵の美人たちは大仰な表情は見せないが、目や口のわずかな変化、身振りによってその性格や心理を垣間見せた。本作の裸婦も同じく、わずかな表情やしぐさによって鑑賞者の想像力を膨らませ、単なる肖像では終わらせられない印象をただよわせる。それもまた本作の魅力のひとつとなり、特別な「Les grands fonds blancs」の裸婦として、人々の心に深い感銘を残す1作である。