Catalog | iART auction
LOGIN
JP
EN
CN
LIVE BID
ABSENTEE BID
PADDLE No.
JP
EN
CN
CATALOGUE TOP
LOT 62
Léonard Foujita (藤田嗣治)〈1886-1968〉
Le Papillon(蝶々)
22.0×16.0cm
キャンバス・油彩・額装
左下にサイン「Foujita」
1950年
東京美術俱楽部鑑定委員会鑑定証書付
[exhibition]
『藤田嗣治展』出品(ビルバオ、アロンソ画廊:1953年12月2-22日)
[literature]
『LEONARD-TSUGUHARU FOUJITA (ACR Edition) Volume 1』P463, No.50.21 掲載 (Sylvie et Dominique Buisson:1987年)
「私の描くものは現実にあるものではなく、私の中にあるものだ」──この言葉は、藤田嗣治の創作の根幹を静かに言い表している。本作《Le Papillon(蝶々)》においても、目の前の現実を写し取るのではなく、画家の内奥に宿るイメージが、ひとりの少女の姿を借りて、ひそやかに立ち現れている。画面には、どこか夢の中のような、澄んだ静けさが満ちている。
画面中央に描かれた少女は、やわらかな金の髪と澄みきった大きな瞳をたたえ、まっすぐにこちらを見つめている。その表情は穏やかでありながら、言葉にならない気配を含み、見る者の心にそっと触れてくる。藤田特有の乳白色の肌は、光を受けるというよりも、内側からほのかに発光しているかのようであり、繊細な輪郭線によって静かに支えられている。その簡潔な描写の中に、確かな存在感と詩情が宿っている。
少女の衣装は、茶褐色を基調としたボリュームのある袖と深い緑の身頃によって構成されており、中世風あるいは古典的な装いを想起させる。こうした時代性を曖昧にした衣装表現は、藤田がしばしば用いた手法であり、現実の時間からそっと切り離されたような印象を与える。また、布のやわらかな陰影や襞の表現には、油彩でありながら水彩のような軽やかさが漂い、画面全体にリズムをもたらしている。
また、少女像の正面性や簡潔な構図は、西洋肖像画の伝統を踏まえつつも、背景との関係性や装飾性の扱いについては東洋的な平面性が色濃く反映されている。この東西の融合こそが藤田芸術の本質であり、本作においてもその魅力が凝縮されているといえる。
少女の手元には、一匹の蝶が静かにとどまっている。少女はそれを捕らえるのではなく、壊れ物に触れるように、そっと指先で支えている。そのささやかな仕草が、画面に緊張ではなく、やわらかな共存の気配をもたらしている。蝶は西洋美術において、魂や変容の象徴として語られることが多いが、本作においては、はかなくも確かな生命の瞬きを体現する存在として、少女の無垢な姿と静かに響き合っている。藤田の作品において動物や昆虫はしばしば登場するが、蝶というモチーフは決して多くはなく、本作はその点でも特異な位置を占める。
背景には、パリの街並みを思わせる建物が控えめに広がる。煙突や屋根窓がリズムよく配され、都市の気配をさりげなく伝えるが、その描写はあくまで抑制され、前景の少女を引き立てる静かな舞台として機能している。屋根の上には小鳥の姿も見え、わずかな生命の気配が画面にやさしく息づく。蝶と小鳥という二つの小さな存在が呼応することで、この静かな世界に、ほのかな時間の流れが生まれているようにも感じられる。
藤田は1913年にパリへ渡り、西洋美術の伝統と最前衛の表現に触れながら独自の様式を確立した。日本画の線描に由来する繊細な輪郭と、独自に調合した白い下地による絵肌は彼の代名詞となり、エコール・ド・パリの中でも際立った存在として高く評価された。とりわけ裸婦像においては、磁器のような白い肌と精緻な線描が融合し、他の追随を許さない独自の美を築き上げたことは広く知られている。
しかし第二次世界大戦期の戦争画制作をめぐる批判により、戦後は日本で孤立を深めることとなる。
本作が制作された1950年は、まさにその転換点に位置する重要な年である。再びパリへ戻った藤田は、過去の栄光と批判の狭間で複雑な心境を抱えながら、新たな創作の道を模索していた。その中で彼が見出したのが、子どもや小動物といった無垢な存在であり、そこに自らの精神的救済を託したのである。無垢な少女と蝶という組み合わせは、再出発を図る画家自身の心象風景とも読み取ることができる。
そして翌1951年、藤田は蝶々夫人の舞台衣装デザインを手がける機会を得る。異文化へのまなざしと装飾的感性が結実したこの仕事を思うとき、本作に先立って現れた「蝶」というモチーフは、偶然以上の含意を帯びて見えてくる。少女と蝶という取り合わせは、どこか儚く、それでいて新たな始まりの気配をも感じさせる。繊細で壊れやすい存在に寄り添うまなざしの中に、画家自身の再生への願いが、静かに託されているのかもしれない。
また、藤田嗣治のカタログ・レゾネとして知られる、S.ビュイッソン編『Léonard Tsuguharu Foujita』の記述によれば、本作《Le Papillon(蝶々)》は、1953年12月2日から22日にかけて、スペイン・ビルバオのアロンソ画廊にて開催された「藤田嗣治展」に出品されたことが確認されている。1950年代初頭の数年間、彼は制作と並行して各地での展覧会に臨み、その作品はフランスのみならず、スペインをはじめとするヨーロッパ各地へと届けられていく。この時期の展覧会歴は、単なる出品記録にとどまらず、戦後の藤田がいかにして国際的評価を回復し、再び欧州画壇において確固たる地位を築いていったかを物語る重要な証左といえる。
当時のスペインにおいて、日本人画家による本格的な個展が開催されること自体が注目に値し、藤田の名声がフランスのみならず広くヨーロッパに浸透していたことを示している。アロンソ画廊での展覧会は、比較的小規模な会場でありながらも質の高い作品が厳選されて出品されたと推測され、本作《蝶々》も鑑賞者に深い印象を残したであろうことは想像に難くない。戦前の華やかな成功とは異なり、戦後の作品には静かな内面性や詩的な情緒が強く表れており、それは欧州の観客にとっても新たな藤田像として受け止められたに違いない。実際、こうした展覧会活動を通じて、藤田は再び国際的な評価を確立し、後年に至るまで続く安定した制作基盤を築いていった。
小品でありながら、本作には藤田芸術のエッセンスが凝縮されている。繊細な線、透明感ある色彩、そして静かに広がる詩情。それらが一体となり、観る者の心にやさしく余韻を残す。詩情豊かな主題が響き合う本作は、幾度となく向き合うたびに、異なる表情を見せてくれるであろう、味わい深い一枚である。
¥
20000000
-
30000000
ABSENTEE BID
LOT 62
Léonard Foujita (藤田嗣治)〈1886-1968〉
Le Papillon(蝶々)
22.0×16.0cm
キャンバス・油彩・額装
左下にサイン「Foujita」
1950年
東京美術俱楽部鑑定委員会鑑定証書付
[exhibition]
『藤田嗣治展』出品(ビルバオ、アロンソ画廊:1953年12月2-22日)
[literature]
『LEONARD-TSUGUHARU FOUJITA (ACR Edition) Volume 1』P463, No.50.21 掲載 (Sylvie et Dominique Buisson:1987年)
「私の描くものは現実にあるものではなく、私の中にあるものだ」──この言葉は、藤田嗣治の創作の根幹を静かに言い表している。本作《Le Papillon(蝶々)》においても、目の前の現実を写し取るのではなく、画家の内奥に宿るイメージが、ひとりの少女の姿を借りて、ひそやかに立ち現れている。画面には、どこか夢の中のような、澄んだ静けさが満ちている。
画面中央に描かれた少女は、やわらかな金の髪と澄みきった大きな瞳をたたえ、まっすぐにこちらを見つめている。その表情は穏やかでありながら、言葉にならない気配を含み、見る者の心にそっと触れてくる。藤田特有の乳白色の肌は、光を受けるというよりも、内側からほのかに発光しているかのようであり、繊細な輪郭線によって静かに支えられている。その簡潔な描写の中に、確かな存在感と詩情が宿っている。
少女の衣装は、茶褐色を基調としたボリュームのある袖と深い緑の身頃によって構成されており、中世風あるいは古典的な装いを想起させる。こうした時代性を曖昧にした衣装表現は、藤田がしばしば用いた手法であり、現実の時間からそっと切り離されたような印象を与える。また、布のやわらかな陰影や襞の表現には、油彩でありながら水彩のような軽やかさが漂い、画面全体にリズムをもたらしている。
また、少女像の正面性や簡潔な構図は、西洋肖像画の伝統を踏まえつつも、背景との関係性や装飾性の扱いについては東洋的な平面性が色濃く反映されている。この東西の融合こそが藤田芸術の本質であり、本作においてもその魅力が凝縮されているといえる。
少女の手元には、一匹の蝶が静かにとどまっている。少女はそれを捕らえるのではなく、壊れ物に触れるように、そっと指先で支えている。そのささやかな仕草が、画面に緊張ではなく、やわらかな共存の気配をもたらしている。蝶は西洋美術において、魂や変容の象徴として語られることが多いが、本作においては、はかなくも確かな生命の瞬きを体現する存在として、少女の無垢な姿と静かに響き合っている。藤田の作品において動物や昆虫はしばしば登場するが、蝶というモチーフは決して多くはなく、本作はその点でも特異な位置を占める。
背景には、パリの街並みを思わせる建物が控えめに広がる。煙突や屋根窓がリズムよく配され、都市の気配をさりげなく伝えるが、その描写はあくまで抑制され、前景の少女を引き立てる静かな舞台として機能している。屋根の上には小鳥の姿も見え、わずかな生命の気配が画面にやさしく息づく。蝶と小鳥という二つの小さな存在が呼応することで、この静かな世界に、ほのかな時間の流れが生まれているようにも感じられる。
藤田は1913年にパリへ渡り、西洋美術の伝統と最前衛の表現に触れながら独自の様式を確立した。日本画の線描に由来する繊細な輪郭と、独自に調合した白い下地による絵肌は彼の代名詞となり、エコール・ド・パリの中でも際立った存在として高く評価された。とりわけ裸婦像においては、磁器のような白い肌と精緻な線描が融合し、他の追随を許さない独自の美を築き上げたことは広く知られている。
しかし第二次世界大戦期の戦争画制作をめぐる批判により、戦後は日本で孤立を深めることとなる。
本作が制作された1950年は、まさにその転換点に位置する重要な年である。再びパリへ戻った藤田は、過去の栄光と批判の狭間で複雑な心境を抱えながら、新たな創作の道を模索していた。その中で彼が見出したのが、子どもや小動物といった無垢な存在であり、そこに自らの精神的救済を託したのである。無垢な少女と蝶という組み合わせは、再出発を図る画家自身の心象風景とも読み取ることができる。
そして翌1951年、藤田は蝶々夫人の舞台衣装デザインを手がける機会を得る。異文化へのまなざしと装飾的感性が結実したこの仕事を思うとき、本作に先立って現れた「蝶」というモチーフは、偶然以上の含意を帯びて見えてくる。少女と蝶という取り合わせは、どこか儚く、それでいて新たな始まりの気配をも感じさせる。繊細で壊れやすい存在に寄り添うまなざしの中に、画家自身の再生への願いが、静かに託されているのかもしれない。
また、藤田嗣治のカタログ・レゾネとして知られる、S.ビュイッソン編『Léonard Tsuguharu Foujita』の記述によれば、本作《Le Papillon(蝶々)》は、1953年12月2日から22日にかけて、スペイン・ビルバオのアロンソ画廊にて開催された「藤田嗣治展」に出品されたことが確認されている。1950年代初頭の数年間、彼は制作と並行して各地での展覧会に臨み、その作品はフランスのみならず、スペインをはじめとするヨーロッパ各地へと届けられていく。この時期の展覧会歴は、単なる出品記録にとどまらず、戦後の藤田がいかにして国際的評価を回復し、再び欧州画壇において確固たる地位を築いていったかを物語る重要な証左といえる。
当時のスペインにおいて、日本人画家による本格的な個展が開催されること自体が注目に値し、藤田の名声がフランスのみならず広くヨーロッパに浸透していたことを示している。アロンソ画廊での展覧会は、比較的小規模な会場でありながらも質の高い作品が厳選されて出品されたと推測され、本作《蝶々》も鑑賞者に深い印象を残したであろうことは想像に難くない。戦前の華やかな成功とは異なり、戦後の作品には静かな内面性や詩的な情緒が強く表れており、それは欧州の観客にとっても新たな藤田像として受け止められたに違いない。実際、こうした展覧会活動を通じて、藤田は再び国際的な評価を確立し、後年に至るまで続く安定した制作基盤を築いていった。
小品でありながら、本作には藤田芸術のエッセンスが凝縮されている。繊細な線、透明感ある色彩、そして静かに広がる詩情。それらが一体となり、観る者の心にやさしく余韻を残す。詩情豊かな主題が響き合う本作は、幾度となく向き合うたびに、異なる表情を見せてくれるであろう、味わい深い一枚である。
¥
20000000
-
30000000
ABSENTEE BID
CATALOGUE TOP